気になる。

日常の中にある “小さな違和感” を記録しています。 怖いかどうかは、読んだあなたが決めてください。

第五話:決心

その日は、とても晴れていた。
空がやけに高く見える日だった。

ふとした瞬間に、あの入り口のことを思い出した。
忘れていたわけではない。
ただ、触れないようにしていただけだ。

家を出て、城跡へ向かう道を歩く。
昼なのに、周りの音がゆっくり遠のいていく。
足音のすぐ後ろに、誰かの気配がついてきていた。

怖さはなかった。
振り返る理由もなかった。

 

進むしかない。


そう思っていた。

やがて、遊歩道の入り口に着いた。
あの小さな五段の階段が、昔と同じ形でそこにあった。

胸の奥が、静かに熱くなった。

なぜかわからないけれど、
決着をつけよう と思った。

見たかった。
ずっと進みたかった。
あの先に、何があったのか。

ここで終わらせるために。


あるいは、ここから始めるために。

第四話:昼の呼び声

高校生になってから、体づくりに夢中になった。
部活というより、自分のために強くなりたいと思った時期だった。
休みの日は、家の近くの城跡でよく走ったり、腕立て伏せをしたりした。

昼間の城跡は、驚くほど明るかった。
空が広くて、木々はしずかに揺れていてとても居心地が良い。

近くに運動できる公園がなかったので、
緑に囲まれたこの場所は、ちょうどよかった。
城跡という名前のわりに、そこはただの広場に見えた。

…ある日、ふと気づいた。

そういえば、誰もいない。

こんなに広くて、空気が澄んでいて、
散歩をしても、ランニングをしても、
人とすれ違うはずの場所なのに。

毎週来ているのに。
何ヶ月も通っているのに。

誰とも会った記憶がない。

走るのをやめて、息を整えながら、周りを見回した。
昼間なのに、影が深い。
風が吹いているのに、葉の音がしない。

誰もいないのに。誰かに見られてるような気がする。

そのときだった。

幼いころの記憶が、突然、繋がるみたいに戻ってきた。

深夜二時。
気づいたら立っていた城跡。
誘われるように進んだ遊歩道。
階段の手前で戻ってきた身体。
翌日、友達が感じた何か。
釘で打ちつけられた無数の魔除け、サングワー。

あれは、夜だけの話じゃなかったのか。

胸の奥が、ゆっくりと冷たくなっていった。

足が重い。
空気が動いたわけではない。
何かが近づいたわけでもない。

ただ、
“見られている” と思った。

呼ばれている。
あの日と同じように。
階段の向こうへ。

第三話:印

その子は、小さい頃から「見える」ほうだった。

夜の十時ごろ。
夏の空気は湿っていて、虫の声だけが濃かった。
中学生の僕らは懐中電灯を一本ずつ持って、二人で城跡に向かった。
目的は、クワガタ探しだ。

城跡の裏に回って、森へ続くあの遊歩道の入り口が見えたときだった。

友達が、急に立ち止まった。

「……かゆい。」

腕を掻いているのかと思ったけれど、違った。
全身を、外側からじゃなくて、内側から掻こうとしているみたいな動きだった。

「気持ち悪い……胸が、押されてるみたい……。」

その言い方が、妙に静かだった。
叫ぶわけでもなく、暴れるわけでもなく、
ただ、淡々と自分の状態を報告しているみたいに。

その友達は、昔から霊感が強いと言われていた。
そういう体質の人が、何かに触れたときの反応だと、
そのとき、直感でわかった。

俺たちは、その日はそれ以上進まなかった。
何も言わずに、それぞれの家に帰った。
何かを連れて帰ってはいけないという考えだけは、なぜか一致していた。

 

翌日。


夕方ごろ、もう一度、同じ場所へ行った。
昨日見たものが気のせいかどうか、確かめるために。
昼間のほうが、まだ安全だと思った。

遊歩道の入り口に着いたとき、
そこで足が止まった。

手すりにも、木の柱にも、石壁にも、
沖縄の魔除け「サングワー」 が
無数に、釘で打ち付けられていた。

何十枚も。
重なるように、乱雑なようで、整っているようで。
誰かが急いで貼り付けたにしては、数が多すぎた。

俺も、その友達も、言葉が出なかった。

この場所には、これまで何度も来たことがある。
昼も夜も通った。
けれど、こんなものは、一度もなかった。

「……そういうことか。」

友達が、ぽつりと言った。

その言葉の意味は、聞かなかった。
聞いたら、戻れない気がしたから。

あの夜、あと五段先に進んでいたら、
俺は、どこまで行っていたんだろう。

サングワーは、風に揺れているわけでもないのに、
少しだけ、震えているように見えた。

まるで、誰かがまだ、そこにいるみたいに。

第二話:階段

中学一年の時の話です。
時間は、深夜の二時くらい。
家で寝ていたはずなのに、気づいたら外に立っていた。

場所は、家の近くの城跡。
昔から「夜は行かないほうがいい」と言われていたところ。
近所の人はみんな知っていた。
あそこは、いわくつきだと。

なのに、その夜の自分は、そこにいた。
来た理由も、家を出た記憶もない。
足が、勝手にここまで運んだみたいだった。

城跡の裏には、森の中へ続く遊歩道がある。
人が通らなくなって久しい細い道で、
昼間でもなんとなく空気が重かった場所だ。
夜に来るようなところではないはずなのに。
その道の入り口に、五段だけの小さな階段がある。

 

その階段を、上がろうとしたとき。
ふっと、意識が戻った。

まるで、夢から目覚めるみたいに。
自分が、いまどこにいて、何をしようとしていたのかが
一瞬で理解できた。

そして、急に体だけが動いた。
来た道を引き返す。
走ったのか、歩いたのかは覚えていない。
ただ、家に戻らなきゃいけないとだけ思った。

不思議なのは——
その時全然怖くなかったこと。

小さい頃から、暗い場所が苦手だった。
夜道を一人で歩くだけで、息が早くなるような性格だったのに。

あの夜だけは、違った。
森の暗さも、空気の重さも、
後ろに気配みたいなものがあったこともわかっているのに、
なぜか、怖さがなかった。

家に着いた後、部屋に戻ってベッドに横たわったとき、
ようやく心臓が動き出した。
急に、体が震えた。

怖くなかった、ということが
一番、怖かった

あの階段の手前で意識が戻らなかったら、
自分はあのままどこまで行っていたんだろう。

いまでも、あの階段の前を通ると
視界の端で、影が揺れるような気がする。

まるで、
まだ呼んでいる みたいに。

第一話:消えたあかり

 これは私が18歳の頃の話です。

 

一人暮らしを始めてから、夜の時間が少し好きになった。
誰にも邪魔されず、考えごともできるし、ただ湯気の中でぼーっとできる。

この夜も、いつものように、リビングの灯りとテレビをつけたまま浴室に入った。
生活音が外側にあると、不思議と落ち着く。
浴室の中は自分だけの世界で、外の薄い明かりと音が「ここは安全だ」と教えてくれる気がした。

シャワーの水が、肩に落ちて跳ねる音。
湯気が天井に溶けていく。
そのはずだった。

 

…カタカタ。

 

リビングの方から、小さな物音がした。
床を軽く踏んだような音。

気のせいだと思いたかった。

 

タオルを取って、浴室を出る。

リビングは、暗かった。

さっきまでついていたはずの灯り。
テレビの画面の光。
それが、綺麗に、完全に消えている。

ブレーカーが落ちたわけではない。
冷蔵庫のモーターが、低く唸っている。
空気は、さっきまでと同じ温度のまま。

違うのは——
「光」だけがなくなっていたこと。

スイッチの場所まで歩きながら、なぜか足音を気にしていた。
暗い部屋の真ん中を、静かに横切るのは、誰の足音だったのか。

 

パチン。

 

照明が戻る。
部屋は元の形に戻った。
家具も、影も、何も変わらない。

 

この部屋には、誰もいない。
はずだった。